『傷つけられた人間は、その分他人に優しくなれる』

 この様な糞ったれた偽善の言葉を聞くたびに僕は反吐が出そうになる。

 実際は自分が傷つけられた以上にその傷を、痛みを、不快さを他人に与えたくなるようなものなのだ。
 こうして、被害者はいつの間にか自分が最も嫌っていた加害者となってしまうのである。

 よく殺人事件の被害者の遺族と呼ばれる者がこうのたまう。

 『虐げられた者を癒すのは、虐げた者を死刑にすることである』

 莫迦か。それこそまさに虐げる者の考えではないか。矛盾も甚だしい事この上ない。

 だが、その矛盾こそ、その理不尽なる暴力こそ人間の本質なのであろうか?僕にはよくわからない。

 捨てられている子犬を見つけたらどうしたらよいのか?

 大半の者はこう言うだろう。『拾って育てる』と。
 だがちょっと待ってほしい、本当にそのまま拾うべきなのだろうか?

 ぼくはそのような者にこう言いたい、その子犬を拾うのは良い、だが最後まで責任を持って飼えるのか、と。

 そう、責任を持たずにただ『かわいそうだったから』拾ったのでは、その子犬は生来碌な扱いをされる事はないのだ。

 そのような薄っぺらい善意の考えしか持たないのであればその子犬を見捨ててしまうのがよいのだろう。
 


 これは、二人の莫迦の物語。

 虐げられる側から虐げる者となった莫迦と、
 善意のつもりで大きな間違いを犯した莫迦の物語。

 



 歴史の闇に葬られた事件というのは数多く、この事件も例外ではない。
なおかつ当事者であるのならこの事件の事を余すことなく語りたい。

 昭和八十二年の五月半ばより六月末までの間に東京都練馬区ススキヶ原で起きた武装占拠事件、
通称『練馬砲塔事件』は諸君らの目にも新しいだろう。

 それまでいじめにあっていた一人の少年が、巨大な砲台による砲撃で町を不当な支配下に置いた事件、というより騒動だ。

 この事件は三年の年月が経った現在でも謎が多く、警察どころか国すらもただ静観していただけという上に、
あまつさえほとんどニュースにもならなかったという特異な経歴があり、それ故に今回の取材は難を極めた。

 だが、当時者であった5人の中学生に直々にインタビューを申し込むことができ、
なおかつ事件の詳細もより詳しく聞くことが出来た上に、筆者が無理を押した結果ススキヶ原署よりある資料を貸し出してもらったのである。

 その資料の名は『第73号文章』、練馬砲塔事件の仔細が書かれたものである。この資料と彼らの証言を合わせた結果、
これまで見えてこなかった当時のススキヶ原の状況が見えてきたのである。


 私は一旦筆を置くと、借りてきた第73号文書に目を通した。

 

あの時の状態をここまで鮮明に記録しているものはこれ一つだけなのだろう。

 3年前にススキヶ原に住んでいた父親が亡くなり、その葬式を含めた一切が済み、
さて帰ろうと思っていた時に私たち家族はこの事件に巻き込まれたのだ。

 その後ススキヶ原はほぼ封鎖状態、徹底した報道管制が敷かれ、ほとんどの国民は何も知ることがないままこの事件は終息した。

 そして、私の息子は瀕死の重体となり、永遠に消えない傷痕を体に刻まれたのであった。

 忘れもしない、あの事件の首謀者にして今回のインタビューに一番最初に応じた5人のうちの1人、

私にとって憎んでも憎みきれない男……

 


 骨川グループの御曹司、骨川スネ夫によって……

 

 原案 藤子・F・不二雄『ドラえもん』第38巻収録『スネ夫の無敵砲台』

    ヒューマン株式会社『リモートコントロールダンディ』より一部設定借用

    他ネタ多数



 
真説 スネ夫の無敵砲台
オズィアルさん 作

 

序章『莫迦と憎悪と第75号文書』

 

 

 

 

この話は続きます。

 


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