生きる

第四章「野比のび太」

文矢さん

其の零

 「何なんだね、この記事は!」

 デスクの声が部屋に響く。この声はもちろん、俺に対してのお叱りだ。俺が書いた記事を読んで、デスクはここまで怒っているのだ。

そんなに悪い記事を書いた覚えなんかないのに。

 デスクが机に記事の書かれた紙を叩きつけた。机の上にあった紙が少し浮かぶ。そして、デスクはおどおどしている俺の目を

睨みつけるのだ。体が縮こまった感じがする。冷や汗が頬を伝る。

 少し目を反らし、横を見てみた。周りの同僚達まで、俺が悪いという目で見てくる。あ〜あ、今日は何てついていない日なんだ。

ここまで、お叱りを受けてしまうなんて。

 目を落として叩きつけられた記事を見る。「戦争反対運動、広がる」という見出し。そしてそこから続く記事

「日本国通信部がストライキを始めると同時に、骨川スネ夫氏を中心にした戦争反対デモが広がっている。骨川氏は何故か途中で

運動を止めたが、デモ運動はますます広がっていっている。」

この記事の何処が悪いのか分からなかった。

「いいか、国に逆らったら俺達は生きていけないんだ!」

 それがデスクの主張だった。国の方針が戦争なんだから、戦争反対の記事なんて書いちゃいけない。

いつもこれを繰り返しているけど、そんなの間違っているって俺は思っている。でも、デスクには逆らえるわけはない。

 やっとデスクのお叱りが終わる。やっと終わったよ……。

「分かったか? 木村、新しい記事を書いてこい」

「はい」

 うわべだけの返事をして、席に戻った。同僚とかは笑いながら「落ち込むな」「がんばれ」とかの声をかけてくるけど、

そんなんで元気になれるんならここまで悩まない。

 その後、適当に記事を書いてやっとデスクに許された。それとほとんど同時に勤務時間が終わり、荷物を片付けて、仕事場から帰っていく。

 外はもう、真っ暗だった。マンションまでの道のりにはバスも何も無いから、この暗い道を歩いていくという事になる。

そうやって歩くのだって、何か体が受け付けない気がしていた。

「はぁ……間違っているのかな、俺って」

 何か落ち込んできた。俺が凄い惨めに見えた。

 マンションに着いて、鞄の中を整理する。明日も変わらず、あのデスクに会わなきゃいけないと思うと、また落ち込んでくる。

もう何か、最悪な日だった。

 あれ―― 鞄の中からあの記事が無くなっている。デスクに叱られたデモの記事が。おかしいなと思ったが、探す気力もなかった。

あんな記事無くたって別にいいだろう。

 今はひたすら眠かった。カップラーメンで夕食を済ませると、布団をしいてすぐに寝た。こんな日々が、毎日続いているんだ。

 

其の壱

 デスクの指示には、やっぱり逆らえない。逆らえるわけない。逆らったら、クビだ。記者になった時の自分を思い出す。

もっと、輝いていたような気がする。ため息をつく。

 とりあえず、適当に記事を書いた。記事の見出しは、「「日本の戦争勝利確実」天皇様、関係者が漏らす」だ。俺のダチである

天皇の関係者にインタビューをした時に出てきた言葉を適当に並べただけだ。しかし、これでいいんだろう。

 デスクはこの記事を見れば、OKを出すだろう。いや、出すに決まっている。これだ。これでいいんだ。こんな記事をずっと

書いていればクビになる事なんてない。デスクに怒られる事なんてないんだ。

 だが、いざデスクにこの記事を出すとなると緊張する。もしかしたら、ボツといわれるかもしれない。それで尻すぼみをしてしまうのだ。

もしかしたら、ボツにされるかもしれない。

 デスクの怒った顔が目に浮かぶ。昨日も怒られた。昨日の怒った顔は、かなりの怒りだった。もう少しでクビというところ

だったのかもしれない。また怒られたらクビだろう。

 体が震える。急いで、その記事をもう一度、見直す。国に対して反対するところやおかしいところとかが無いか。

さっき、見直して完璧だと確認した筈なのに、体が勝手にそうした。

 別に捏造も何もしていない。重要そうなところを取っただけと、関係者に取材した時のメモを見る。よし、間違いは無い。

今度こそ、自信が持てそうだった。

 その記事をワープロから印刷する。印刷ミスが無いように、インクや紙の量まで、細かく確認した。大丈夫。大丈夫だ。

印刷された記事。それを一枚一枚、確認していく。

 そういえば、昨日の記事の紙、何処に言ったんだろう―― 家に帰った時に鞄の中を確認しても、見当たらなかった。

いや、別にそんな事、どうでもいいのだが。別に拾われても困らないし。

 部屋の置くにあるデスクの机へと、一歩一歩、歩き寄っていく。デスクは何故かイライラしていたように思えた。そういえば、

今日は他の記者が今日、デスクに記事を見せたのを見ていない。

「書きました。見て下さい」

 デスクに、手渡しで記事を渡す。昨日のことで、多分俺を信頼していないであろうが、デスクはすぐにその記事を読み始めた。

相当、暇だったのだろう。

 そして、その記事を読み終わると、俺の方を見た。少し笑っているようにも思えた。

「OKだ。木村、やればできるじゃないか!」

 声のテンションが上がっている。やった。俺の記事が、認められたんだ。ああいう記事を書いたらOKなんだ。やった。

 そして、勤務時間が終わりテンションを上げて部屋を出た。一つのビルだから、エレベーターで一階まで降りて家へと帰る。

 ドアの前まで来た時、ドアの前に誰かがいるのを感じた。半透明のドアなので、完全には見る事は出来ないのだが、眼鏡を

かけているように見えた。

 ドアを開く。すると、目の前の奴はドアにぶつかったようで、声が聞こえた。普通、交わすだろ。普通は。鈍そうな奴だ。

「あっ、会社の人ですか?」

 そいつは俺を見ると、すぐに言ってきた。服はボロボロで、俺が予想した通り、眼鏡をかけている。筋肉はついているように見える。

軍人あがりだろうか。

「そうですが」

 とりあえず、こう受け流した。そいつの目はいやにキラキラと輝いていた。そいつの目が、何かちゃんと見えなかった。

「じゃぁ、この記事を書いた人が分かりますか?」

 そいつがポケットから取り出したのは、昨日俺が書いた記事だった。見出しがはっきりと見える。「戦争反対運動、広がる」

間違いない。こいつが拾ったのか。

「私が書きましたが……。失礼ですが、人に何かを聞く時には名乗るのが普通では?」

 そいつは気づいたように、名前を言い始めた。

「すいません……。僕、野比のび太と言います」

 

其の弐

「じゃあ、野比さん。その記事はさっき言った通り、僕が書いたものですけど何かあるんですか?」

 そう言いながら、俺は何で聞いてきたか考えていた。ただ旦に拾っただけなら、ここまでは来ないだろう。

拾ってから「この新聞社だ」と一直線にここまで来れるワケが無いから、多分いくつもの新聞社を回っている筈だ。何で、ここまでして。

 この『野比』という人の姿をよく見てみる。軍人あがりの人、という印象を最初に受けたがよくよく考えればおかしい。

まだ戦争は終わっていない。どうしてここにいるんだ?

 だが、俺の考察は途中でプッチリと途切れた。その前に、野比がさっきの質問に答えたからだ。

「いや、ここに出ている骨川スネ夫って……僕の友達だったんですよね」

「え……!」

 記事にも出ていて、『戦争反対運動の中心人物』であった骨川と、『友達』だと。驚きのレベルが凄かった。

落ち着けと言っても落ち着けなかった。記者人生でここまで興味をもったのは初めてかもしれない。

 その時、風が俺の肌を震わした。よくよく考えれば、こんな外でそこまで話が出来るわけが無い。

ここにいると新聞社の奴らに邪魔になるし。

「ちょっと、取材をさせていただきたいので、レストランに行きませんか?」

「え、お金が無いんですけど……」

「大丈夫です。私がおごります」

 戦争中でもレストランはある。だが、高い。めちゃくちゃにだ。俺の今、持っている金を全て合わしてやっと、二人分が

飲み食いできるくらいだ。痛い出費だが、新聞社の方に領収証を渡しとけばいいだろう。こんだけ良いネタはほとんど見当たらない。

 だけど、今の持っている金を全て使っちまったら俺、今月生活できるのか……? そんな疑問が浮かんできたが、それを

吹っ飛ばした。

 レストランは基本的に戦争中でも危険が少ない地下街にある。お偉いさんとかも多く来るからだ。俺は一度もそこに入った事は

無かったが、お偉いさん御用達の店では金属探知機とかもついているらしい。

 新聞社から出て、街の方を数分歩いているとレストランの看板があった。確かここのレストランはかなり安い値段だったと思う。

いや、今のレストランの中ではだが。

 そのレストランの階段をゆっくりと降りていく。少し緊張してきた。よく考えると俺も野比も、こういう所に入るには相応しくない姿だ。

まぁ、大丈夫だろう。そこまででは無いだろうし。

「だっ大丈夫なんですか? 取材なら僕は外でも大丈夫ですよ」

 野比が少し慌てた様子で俺に言ってきた。確かに、こんな豪華なところでもやらなくてもいい。だが、ここから他の所へ

行くのも何だし。ここに行こう。もう覚悟は決めてる。

「いらっしゃいませー」

 中に入った途端、店員の元気な声が聞こえてきた。店の中は、かなり豪華そうだった。客の入りは、少ない。

「お二人様ですか?」

「あっ、はい」

「では、こちらへどうぞ」

 席へと案内された。豪華そうな雰囲気が辺りに漂っている。昔はもっと気楽に行けたんだけどな。ファミレスとか普通にあったのに。

「ご注文が決まりましたら、こちらのボタンを押して下さい」

 店員はにこやかな笑顔でそう言うと、向こうの方へ去っていった。テーブルの上には、メニューと書かれた紙が置かれている。

「あっ、好きな物を注文して下さい」

 俺は野比に対してこう言った。こういう風にしておかないと、気まずい雰囲気になってきている。こういう雰囲気は嫌いだ。

 俺はどうするか。何か食べておかないと体がもたない。一番安いものを、メニューを見る。一番安いのはそばの様だ。

そばにして、コーヒーでも頼もう。これだけでも、かなりの値段だ。

「じゃあ、これで」

 野比はそばを指差した。俺に遠慮して、安いものを選んだようだ。これで少し安心した。飲み物はコーラを指差していた。

 ボタンを押し、店員に注文する。そして、俺はメモ帳を取り出した。今から、取材を始めるのだ。

「では、取材を始めさせたいと思います。まず、骨川さんとのご関係を」

 

其の参

  いつだろう。あの日、あの時に出会ったあの懐かしい香りを忘れたのは。いつも当然の様に思っていたあの香りを忘れていたのは。

 この、野比の話は忘れていたあの香りを思い出させてくれた。昔は大人が「三丁目の夕日」とかを見て懐かしがっているのを見て

笑っていたというのに。こういう感覚だったのか、やっと分かった。

「ドラえもん」というロボットとやらの事は普通なら信じられない。でも、彼の言葉には、一つずつ重みがあった。骨川との関係も、

本当に思える。いや、本当なのだろう。

 骨川の人物像、彼の人物像、何もかもが俺の中に入ってきていた。その時、俺の頬に何かが伝っていく感覚を感じた。

「木村さん? 泣いて……」

 野比の声で、目が覚めたような感覚だった。今の俺は、泣いていた。急いで目をハンカチで拭いた。

 久々に心の底からの涙を流したと思う。鼻にも、あの懐かしい香りとかが漂ってきた。全てを思い出したような感覚が俺を包んだ。

「だっ大丈夫です。後、もう一つ質問をしたいんですが」

 野比は不思議そうな目で俺を見ている。何で泣いているのだろうとか、そういう風に思っているのであろう。

「あなた、軍人でしたよね。何で今、日本にいるのですか?」

 野比は少し黙った。言いにくい事なのか、例えば戦場から逃げ帰ってきたとか。だが、そういう性格にはどうも見えない。

糞真面目で、とても不器用、そう思えた。

「この右手、ありますよね」

 野比の右手、普通の右手に見えるが、よく見ると……。

「義手、なんです」

 野比は肌色の手袋を外した。すると、生生しいというか、何というか、メタリックな義手が現れた。昔、テレビとかで見た事しか無い、義手。

 こいつは、戦争で負傷をしたのか。だから、だからなのか。だが、顔には少しの銃弾の痕が見えるだけだ。

「顔はそんなに大した事ないんですけどね、体はボロボロなんです。マシンガンでも撃たれたし、戦車の弾にも掠っていたらしいです」

 笑いながら言っているが、その笑いの奥に哀しさが混じっているのが見えた。こいつの人生は、俺なんかよりもずっと、

ずっと深いものだったんだ。

「すいません、そんな事を聞いてしまって」

 申し訳ない気分で下を向いた。俺は、一体何なんだろう。気楽に、適当に記者生活を送っていて。

「その後、帰国したんです。「ある所」に行きたいのですが、金も無くって……」

「ある所?」

「僕の、親友の墓を作るんです。後……彼女にも会いたいんですよ」

 照れたように、野比は言った。彼女、さっきの話で出てきた「しずか」という人か。親友というのは、戦場での友達の事であろう。

 こいつの事が、段々分かってきた。こいつ、野比は「人の為」に生きる奴なんだ。子供の頃からずっと、ずっと。

 その後、そばを食べ終わり、会計を済ませて外に出た。やはり、かなり高くついた。領収証も一応はとったが、払ってもらえるだろうか。

「それじゃ、野比さん。ありがとうございました」

「あっはい、いい記事を書ければいいですね」

 野比は最後にその言葉を言い残して、去ろうとした。

「ちょっと待って下さい。取材料を」

 財布を取り出した。後、僅かな金しかない。でも、渡さないままでいられなかった。こいつにその親友の墓を作ってもらいたい。

「しずか」と会わせてやりたい。そう思ったのだ。

「いいですよ、そんな。お金も無いんでしょう」

「いや、受け取ってください」

 彼にその金を無理やり、渡した後、俺は帰って行った。

 願わくば、彼に幸せが訪れるように――

 

其の四

 今日、朝早く起きた。随分と暇だ。爽やかな朝と言いたいところだが、そういうわけにはいけない。

 金が無いのだ。昨夜、野比にあげたりした金でほとんど使い果たした。あげた事に後悔はしてないのだが金が無いのは困る。

「押入れのタンスに前、金いれてたような気がする」

 そうだ。前、金があった時にもしもの為に閉まっておいたんだ。急いで押入れを開き、そのタンスを探す。

「うわっ」

 開いた瞬間、俺の頭に何かがぶつかる。箱だ。箱の蓋が開き、中身がこぼれる。何枚かの紙が零れ落ちる。

 やっちゃったな…… そんな気持ちでその箱を拾い上げ、中へと入れようとする。今に破れそうな紙ばかりだ。

 ぼくの将来の夢―― 作文用紙の題名の欄に下手糞な字でそう書かれていた。俺の昔の作文だ。

 何となく見たくなって、その作文用紙を拾い上げた。小学生くらいの作文だ。こんな事を書いていたのか。
 
 ぼくは、将来、正義のヒーローになっていると思います。スーパーマンとか、そういう風な正義のヒーローでは

決してありません。平和の事を考える、という意味のヒーローです。

 正しい事をちゃんとやるのです。例えば、万引きをしようとしている人がいたとしたら、その人がどんなに怖い人でも

注意する。どんなにお金をもらえるとしても、法律でまちがった事はしない。

 大人になると、そういう事がちゃんとやれないような人ばかりになるらしいです。

でも、ぼくはそんな大人にはなりません。しっかりと、勇気をもって注意する人になりたいです。

「はは、こんな事を考えていたのか」

 その時、ポストの中に何かが入れられる音がした。新聞が届いたのだ。昨日、編集長に提出した記事が載っている。

そうか、今日の分の新聞で書かれるのか。思い出したような気持ちになる。当然の事なのに。

 新聞に載っているのは、戦争万歳的なものばかりだった。俺の記事も、そういう感じで載っている。

この新聞で、また洗脳される人は増えるのか……

 オレハナニヲヤッテイルンダ――? 「戦争はいけない」散々教えられた。

太平洋戦争中の戦争主義の事も知っている。今、俺がやっているのはそれと同じなんじゃないのか。

 急に自分が醜く感じた。いや、醜い。上司の命令で、「正しい事」を書かずに、戦争万歳の記事を書く。最悪だ。

 野比は、「人の為」に生きていた。俺は「誰の為」に記事を書いている? 俺にはどうしても曲げれない信念があるか?

 無い。そんなもんは、無い。

 恥ずかしい。どうして、どうして。何で、今、ここに俺はいる。

「うわあああああ!」

 静かな部屋の中、俺は叫んでいた。幸い、隣の人とかからは苦情が出てこなかった。少し息がはずむ。

 泥沼の中にはまってしまったような感覚が襲う。いや、すでにはまっているんだ。何が何だかわからなかった。

 涙がポロポロと零れた。何をやっているんだよ。俺は。

 立派な大人になれたか? 真の正義のヒーローになれたか? 俺は、俺は――
 
 もう、自分が嫌いになっていた。しばらく何も考えなかった後、今日もまた仕事に行かなければならない、と憂鬱になった。

 何をやっているんだろう。心底、そう言いたい気分だった。

 

其の五

「何を……出しているのかね? 木村くん」

 デスクの目が俺を睨む。『信じられない……』その目から、そんなメッセージが伝わってきた。

いつもは怖く見えるデスクの顔が、全く怖くなかった。今の俺の気持ちから見ると、ちっぽけな存在に見える。

 デスクの机の上に置いた封筒を見る。封筒に誇らしげに書かれている文字。この文字を書くが為に、俺がどんだけの決意をしたか。

 これを書いたら明日には死んでいるかもしれない。もしかしたら、飢え死しているかもしれない。だが、迷いは決してしなかった。

すでにその時には俺の行動は「決定」していたからだ。

 辞表―― 今日の朝、出る前に俺が書いたものだ。

「見ての通り、辞表です。今日、この新聞社をやめさせていただきます」

「他社からの引き抜きか? 今のままなら戦争中もずっと楽に暮らせるんだぞ」

 デスクの頬を汗が伝った。「他社からの勧誘」などあるわけがない。そんな事しか想像できないのであろうか。

 部屋の中にいる他の記者達が俺に注目する。いつも失敗した時に励ましてくれた仲間たち。彼らも、信じられない目で見てきている。

 田中。俺の机の隣に座っている奴だ。陽気な奴で、懐が暖かい時は酒をおごってくれたりした。中村、井出……。

見るだけでそいつとの思い出が蘇る。

 デスクは頭を抱えた。こんなデスクの姿を始めてみた。いつもは嫌味な感じなのに、デスクが不器用な人間に思えてきた。

「何があったんだ? 言ってくれ」

 考えに考えた挙句、デスクはそう言った。その目には微かに涙が溜まっていた。

「戦争は、止めるべきだと気づいたんです」

「何ィ!」

 デスクがかなり驚いた。部屋中が騒がしくなる。「木村、本気か?」とかそういう声も聞こえてきた。

ここまで視線を浴びるのは初めてだ。

 足が震える。怖いわけじゃあ無いがかなり不安になった。この後の同僚達の対応が気になったのだ。

「……分かった。じゃあな。退職金は無いぞ」

 覚悟はしていた。まぁ、こんな時に退職金なんて出るわけはないだろう。だが、野良犬の様に生きる事もいいな、とも思っていた。

 その時、いきなりデスクが立ち上がり、ドアの方へと向かって行った。

「少し外でタバコを吸ってくる。木村以外の奴ら、ちゃんと仕事をやれよ」

 デスクが出て行った後、部屋はシーンとなった。そして、俺は出口へと歩き始めた。

「木村、何をする気か知らねぇが、頑張れよ」

 田中が俺に対してそう言った。心の底からそう言ってくれている事が分かった。

「頑張れ!」

「何かやるんだったら俺に教えろよ!」

 田中のその言葉から急に皆がそう言い始めた。暖かい言葉だった。今まで聞いたどんな言葉よりも、暖かい言葉だった。

「ありがとな」

 少し涙声で俺は言った。ダセぇ。だが、それも良いかと思う。

 今まで何度も通ってきたルートを通って、俺はビルの出口へと急いだ。出会う人、全てに大声で挨拶しながら。

 そして、エレベーターから出た瞬間だった。デスクが、いた。

「デスク……」

「フン! 戦争を否定するとは罰当たりな」

 デスクはそう言うと俺とすれ違いにエレベーターに乗った。最後までムカつく野郎だ――

 そう思って下を向いた瞬間だった。財布が落ちていた。革の高そうな財布だ。誰の財布であろうか。

 財布を拾う。かなり重い。かなりの金が入ってそうだ。中を開いたら持ち主が分かるかもしれない。

 開いてみる。中には、手紙らしき紙が入っていた。その紙を開く。


 木村、この金は自由に使ってくれ。

 俺は今、お前を尊敬するよ。俺は最期までこの「国」に逆らえないと思う。

 だがな、木村。お前が困っているときは絶対に助けに行く。言ってくれ。
 

 汚い、字だった。前が霞んで見えなかった。

 

 ありがとう、ありがとう。何もかもが、暖かかった――

 

其の六

 天皇陛下―― 

今まで、ほとんど忘れられていた存在だったのに戦争が始まると、いきなり軍国主義の象徴として担ぎられた。

天皇側も迷惑であろう。だからこそ、俺は今日、何をやるかを決めた。
 今、俺がいるのは皇居の前の林。天皇陛下が住んでいる所。

そして、毎日のように狂信者達がおしかけ、「天皇さま」とか言っている、今じゃ神社のようなところだ。

だが今、俺がいる時間はそういう奴らはいない。朝六時。確か、情報では朝六時過ぎ頃に必ず天皇陛下はベランダに出てくるらしい。

 それを狙って、俺は来ているのだ。いや、「俺ら」というべきであろう。周りに昨日、会社から出てきて集めた仲間達がいる。

といっても五人程だが。元々、戦争反対運動をしてきた奴らだ。その内、羽下と安部は骨川スネ夫の下で反対運動をしていたらしい。

「もうそろそろ……時間だな」

 羽下が腕時計を見ながら呟く。俺は、カバンからマイクを取り出した。今では貴重な電池をキッチリと入れている。ちゃんと音は出る。

 林から出て、皇居のまん前へと出た。警備員が「何しに来た?」という感じの目でこちらを睨んでくる。ここでビビッたら駄目だ。

マイクをしっかりと握り緊める。

 そして、静かに皇居のベランダの窓が開かれた。ガードマンに囲まれた天皇陛下が顔を出す。その姿には神々しさが感じられた。

天皇陛下、確か現存する世界で最も古い王の血族という話を聞いたことがある。ローマ法王と同格とか、そういう話も聞いた。

 心臓がバクバクしている。緊張している。足が震えた。ゆっくりと、マイクを口元へと持っていく。

 お前を尊敬するよ。俺は最期までこの「国」に逆らえないと思う―― 

昨日、同僚やデスクが言ってくれた言葉が俺の頭をよぎった。皆、俺を期待してくれている。だから、答えるんだ。

 俺が、この国を、変えるんだ。行動をするんだ。立ち上がるんだ。

「天皇陛下! 失礼ながら、ここで演説をさせていただきます」

 大声を出したら、急に緊張が無くなってきた。羽下とかが「頑張れよ」とアイコンタクトをしてくる。まるで、十年来の親友のように。

天皇陛下も、こちらの方を見てくれている。

 次の言葉が頭に浮かぶ。昨日の間に一所懸命に覚えたものだ。

「私達は、いわゆる戦争反対のグループです。僕以外の五人は、全員戦争によって家族や、大切な人を失った人達です。

でも、『私は違います』私の家族は疎開していますし、大切な人も同じく疎開をしていま……」

「何をしている警備員! 止めさせろ!」

 上にいるガードマンが大声で命令した。やはり、止めさせられるのか? 冷や汗が垂れる。「しまった」と羽下が叫んだ。

安部は逃げようとしている準備をしようとしている。

 くそ、やはり駄目なのか…… 警備員が物凄い剣幕で飛び掛ってくる。警棒。それが、俺へ襲い掛かってきて。

激痛。初めて、こんな痛みを味わったかもしれない。

「てっ天皇陛下様の前で何をする気だぁーッ!」

 少しビビったような声だった。痛い。痛い。ほとんどつぶっている目で、俺は必死に警備員を止めようとしている

羽下と山形の顔が見えた。

「やめろ!」

 その時だった。天皇陛下の声が聞こえた。警備員がやめ、敬礼をすると元の位置へと戻った。

ガードマンが驚いた顔で天皇陛下を見る。

 俺も信じられなかった。ここまでやったのだから、天皇陛下自身も嫌だったんだろう、とばかり思っていたのに。

「すまなかった。後で治療をしたいと思う。話を……続けてくれ」

 天皇陛下の声は、暖かかった。あのデスク達と同じくらい。目に涙があふれる。

「あっありがとうございます!」

 思わず、グループ全員で礼をした。ありがとうございます。本当に感謝をしたい。

 深呼吸で呼吸をととのえ、ハンカチで手を拭くともう一度、マイクを手に握り緊める。もう一度、チャンスをいただいたんだ。

これが、チャンスなんだ。

「では続けさせていただきます。大切な人も同じく疎開をしています。では、どうして私が戦争反対運動に加わったのか。

私は新聞社に勤めていました。ついこの前まで、「戦争は嫌だ」と思っていても「戦争万歳」な記事を書いていました。

でも、今の私は違います。それは、ある人に出会ったからです。その人は、G国での戦争で負傷し、この国に戻ってきた人でした。

彼は、自分に正直に、真っ直ぐ生きてきていました。真っ直ぐ、太陽に向けて真っ直ぐです。そして、変わったのです」

 ここで一息ついた。天皇陛下は暖かな目でこちらを見てくれている。この調子なら、最後まで行けそうだ。よし、行けるぞ……

「そして私は分かりました。誰だって、本当は「戦争なんか嫌だ」と思っているのです。でも、真っ直ぐ立ち上がれないだけなのです。

自分の気持ちを堂々と伝えることができないだけなのです。だから、切欠が必要なのです。

天皇陛下! あなたも本当は、戦争なんか嫌だと思っているのではないでしょうか? 

前、陛下の関係者にインタビューをした時、そう思いました。だからです。陛下も立ち上がってください! 

自分の気持ちに正直になって下さい! そうすれば、心の中で思っている人もそれを切欠として立ち上がれると思うのです。

陛下は、日本で一番、その様な力を持っている人です。どうか、どうか、お願いします!」

 これで、俺の演説は終わりだ。天皇はどう思うであろうか。俺の推測が違うのかもしれない。でも、でも、これしかないんだ。頼む。頼む。

 長い沈黙が辺りを包んだ。

「……君の名前は、何かね?」

「きっ木村です。木村重信です」

 そして、陛下はそれを聞くと口を開いた。

「木村くん、あなたの願いは、了解した!」

 数秒後、俺達のグループは歓喜に包まれた――

 

 天皇もまた、立ち上がったのである。真っ直ぐに。真っ直ぐに。

 


 

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