生きる
第一章「ドラえもん」
文矢さん
其の零
夕方。空き地の土管も、裏山の木々もその時間だけは赤く染まっていた。そんな中、周りと同じように赤く染まっている自分がいた。
日常の風景。そう、僕の少年時代の日常の風景。
その日常の中にはジャイアンやスネ夫や静香ちゃんが当然のようにいた。笑顔で遊び、時にはいじめられもしたけれどそんな日常が
僕は大好きだった。いや、今でもその時の日常は大好きだ。
そして、もう一人。僕の大切な親友がいた。僕の隣に、いつもいた。その親友、ドラえもん――
爆音。僕の心臓のスピードが速くなった。
爆風による空気の振動。辺りから聞こえてくる悲鳴。か弱そうな女の人の悲鳴。軍人らしいゴツい悲鳴。それはたくさんの人が死んだという事
を実感させた。たくさんの血が飛び交ったんだろう。たくさんの夢が無くなっていったんだろう。たくさんの人の魂が。
僕が仕掛けた爆弾で―― 頭の中にまたあの悲鳴が響いた。助けて。死にたくない。死ぬのは嫌だ。死んだ人達の心の中が手に取るように
分かった。きっと、僕はあの人達に恨まれているだろう。あの世で。
銃声。建物の壁から出てくる銃弾。その銃弾が僕の腕に撃ち込まれる。……敵軍が僕がここにいる事に気づいた。
マシンガンを取り出す。敵はどの位、いるのであろうか。この建物の周りを囲んでいるのか。外を見たら撃たれるかもしれない。動け、動くんだ
僕の頭。下手したら、死んでしまうぞ。自分に向けて心の中で呟いた。
――でも、あの人達は死んだんだよ。
もう一つの心が呟いた。そうだ、あの人達は死んだんだ。僕のせいで。「下手したら死んでしまう」ではない。さっき、僕のせいで死んだんだ。
僕が殺した。僕が殺した。僕が殺した。
その時、外から人が駆ける音がした。入り口や小さな窓の周りで彼らが止まったのが分かった。四人……いや八人。もうすぐ、彼らは
侵入してくるだろう。ヤバイ。
――死ねばいいじゃん。お前が殺した人と同じ目を味わえばいい。
うるさい。うるさい。うるさい。黙れ、もう一人の俺。生きるんだ。この戦争を、生き残るんだ。絶対に。
マシンガンの冷たい感触。これであいつ等を殺す。そして、生き残るんだ。今までも何回か使っていて全部成功している。大丈夫だ。
――また人を殺すのか?
うるさい。うるさい。黙れって言っているだろう。俺は、生きるんだ。戦争だ。それしか生き残れないんだ。
来た。予想したとおり八人。建物の中に。侵入。目を見開く。
マシンガンを撃つ音が建物の中に響いた。マシンガンの反動で少しブレる腕。飛び散る相手の血。確実に当てている。大丈夫、外れていない。
七人、あっという間に倒れた。最後は、部屋の端にいる一人だった。
間違いなく敵軍の服。マシンガンをこちらに向けている。大丈夫だ。こっちのマシンガンの方が性能がいい。先に撃てば相手はすぐに死ぬだろ
う。マシンガンを相手に向ける。
相手の悲鳴。マシンガンが落ちる音。相手。鮮血。体にかかる血。知らず知らずの内に叫んでいた。そして、相手が倒れる。
「死にたく……ないよ」
最後に、そう聞こえた。
相手の声は予想以上に弱い声だった。その言葉を言った後、奴は間違いなく死んだ。そうだ、間違いなく。――僕が殺した。
部屋の壁が赤く染まっていた。八人の死体が並んでいる。全部、苦しそうな顔をしながら死んでいる。マシンガンを撃ち込んだのだから
当然の事だが。猛烈な吐き気に襲われる。その後、膝をついて嘔吐する。ごめん、ごめん。
――殺して謝るぐらいなら殺すなよ。
また、もう一人の僕。うるさい。うるさい。戦争なんだ。僕は生きなきゃいけない。待っている人がいる。死んだら、駄目だ。
ヨロヨロと立ち上がり、建物の外に出る。鼻につく血の臭い。これが、戦場だ。まるで地獄のような風景。いや、地獄だ。
死んでいるのはほとんど敵軍。僕が所属している日本軍の圧倒的勝利ということが伺える。辺りを見回す。所々に、負傷した敵兵士や最後の
始末をしようとしている味方がいた。
その時、僕は悪魔を見た。
所々にいた負傷した敵兵士。それを、味方が殺したのだ。敵兵士はあっという間に倒れている。そして、殺した味方は笑っていた。
悪魔だ。悪魔だ。人を殺して笑う? 悪魔だ。
――悪魔? やっている行為はお前と同じじゃねぇか。それがどうした。それならお前も悪魔だ。
そうだよ、僕も同じ事をしたんだ。もう一人の僕の言葉に共感する。そうだよ、もう一人の僕の言葉は全て正しい。
でも、敵を殺さなければ僕は死ぬ。敵を殺したら僕は悪魔だ。僕はどうすればいい。どうしたら僕は死なないで悪魔にもならない。
どうしたらいいんだ? ドラえもん。
其の壱
じゃあね、のび太君―― ドラえもんが僕に言った、最後の言葉。ドラえもんは、今は僕の近くにはいない。そう、未来という遠くの世界へと
行ってしまったのだ。いや、帰ってしまったというべきであろうか。
僕が大学生になった時であろうか。浪人するだろうと周りの人からも自分自身も思いながら受けた受験が受かったのだ。皆、喜んでいた。
ママも、パパも、静香ちゃんも、ジャイアンも、スネ夫も、そしてドラえもんも――
目から涙がこぼれてきた。懐かしさによる涙だ。人を殺したばかりなのに「懐かしい」と思って涙を流すのは不謹慎だろう。だが、
僕が殺した人達の事を思っても自虐心が湧き上がってくるだけだ。
周りを見回す。ここは、攻撃先のG国に作られた日本攻撃本部の就寝室。一つの部屋に四人が寝れるように出来ている。今、
部屋にいる同室の奴は一人だけだ。残りの二人は他の部屋の奴と話しているのであろう。
同室の奴らは、とても軍人とは思えない程、陽気で話が合う奴らだ。どうして俺らは戦争をやっているんだろうと思えてしまうほど、
楽しくやっている。
さっき、行われた作戦会議によると、今日の攻撃によりG国の東端の大体を破壊できたらしい。これでG国が降伏などを申し込んでくれれば
この戦争は終わるらしいが、G国だとそんな事は期待できないであろう。降伏等をしない場合、明日にG国の東端の残りを全て破壊するらしい。
街をそのまま残すという事など、全く考えていない。
攻撃の後、残るのはわずかな街跡と逃げ切った少しの町民のみ。それが今の戦争において日本の攻撃目標である。東端の町々は
人口約234万人が約44万人まで減ったらしい。全部、僕達日本軍がやった事だ。僕等、地上攻略隊は87万人殺し、残りは空中隊
が殺したと言っていた。
どこら辺までが確かなのか分からない。だが、それ位僕達が殺したのは事実だ。この戦争で、日本とG国の両国で何千万人以上の
人々が死亡するであろうと僕は予想している。たくさん、たくさんの人が死に、後世には最悪の戦争として伝えられるんだ。きっと。
僕が第二次世界大戦でたくさん死んだと学習するように。
考えれば考える程、虚しくなってくる。人をたくさん殺して意味があるのか。そもそも、僕達は今回の戦争の発端すら知らない。
普通に生活をしていたら、家に公務員らしき男がやって来て連れて行かれた。それだけだ。
「おい、のび太。飯だぞ」
そんな風に考えていた時、そんな声が聞こえて来た。同室の残っていた奴、智之だ。髪を金髪に染めたまま戦争に参加し、僕とは
違い運動神経抜群だ。だけど、何故か僕と話は合う。そんな不思議な奴だ。
「飯、もうそんな時間か」
「年をとると時の流れが速くなるっていうよな」
「まだ僕は若いよ」
智之の冗談か冗談じゃないのか分からない言葉にそうやって返事をする。まぁ、冗談じゃなかったら僕が老人に近づいているという事になる。
部屋から出ると、隣の部屋などからも人が出て行っている。飯の魔力は物凄い。部屋から階段で下の階に降りると食堂がある。部屋は
広いが、出てくる飯はいつも同じで代わり映えが無い戦争下に飯を食えるだけ幸せなのだが。
食堂で智之と一緒に席に座る。食堂の机にはもう飯が置かれていた。「いただきます」と呟きながら飯を食う。
そして、智之と会話をしようとした時だった。僕が言うよりも先に、智之が喋り始めた。いつもは後から言うのに珍しい。
「なぁ、お前はガキの頃の事を覚えてるか?」
其の弐
まるで、心の中を見透かされたかのような錯覚を覚えた。僕が今さっきまで昔の頃を思い出していたのを知っていたかのように。
「覚えてるよ」
とりあえず、智之に対してそう答えた。いつもの口調で言ったつもりだが、もしかしたら変に思えたかもしれない。
「そうか、お前は何処の出身だっけ?」
「東京の練馬」
そう答えた時、頭の中に今の東京の事がよぎった。この本部のテレビで見たニュース。聞いた時は、とても信じられなかった。
G国がいずれ東京を攻撃するのは考えていたが、戦争が始まって僅か一週間で東京への攻撃に出るなんて。僕達がG国の本部に
入った丁度、その日に攻撃をしていたらしい。その後、鹿児島にある武器工場から武器を本部へ輸入したのが一昨日。戦争開始から
二週間経ってからだ。かなり速い攻撃だったといえる。
G国は日本の東京に対し、大空襲を行ったと聞いている。そして、核兵器を東京へ落とした。東京は壊滅し、生き残った人もすぐに
死んだりしている地獄のようだと聞いている。
「東京……か。帰る所が無くなっちまったんだな」
智之が寂しげな声で言った。そう、もし生き残ったとしても帰る所が無くなってしまったのだ。友達も、働いていた会社も。
何もかも。ママとパパが「老後はゆっくりと暮らしたい」と言って兵庫に住んでいたのがせめてもの救いだ。
「智之は、何処だ?」
今度は、僕が智之に対して言ってみる。そういえば、智之の出身地や何処の学校かも僕は何も知らない。
「俺? 俺は神奈川の三浦」
神奈川の三浦、何とか被害を逃れているのであろうか。三浦ですぐに思い出すのがマグロだが……
「中学生の頃は覚えているんだけどよ、俺、何故か小学生の頃は覚えてないんだよな」
智之が喋るのを続けた。中学生の頃は覚えているのに小学生の頃は覚えていない。相当中学生の頃に色々な体験をしたか、
小学生の頃はあまり面白い事をしなかったという事であろうか。僕は小学生も中学生の時も、どちらもキチンと覚えているが。
そう、ドラえもんがいたからであろう。ドラえもんがいなくなってからの一ヶ月の事はほとんど覚えていない。
「でも、一つだけ小学生の事でハッキリと覚えているんだよ」
「その事だけハッキリと? どんな事だよ」
智之が少し間を空ける。少し言いにくい話なのか、それとも間を空けた方が緊張感が増すと思ったからなのか。
「一度、親父と一緒に釣りに行ったんだよ。親父はカナヅチなんだけど俺が無理やり行ったんだ。海釣りの為の船に乗って沖の方に行ってな」
泳げない僕は海にはほとんど行かなかったが、船に乗っている智之の姿はある程度、想像できた。智之の父さんのイメージも
頭の中で適当に考える。泳げないという事から少しひ弱な人になっていた。
「でよ、釣りを始めたんだけど中々、釣れなくてよ。俺は船から顔を少し出したんだ」
「それで?」
「船が揺れて、落ちた」
智之が恥ずかしい事を話すように言った。いや、恥ずかしい事なんだろうけどガキじゃあるまいし、それを回りの人に伝えようとは
全く考えない。智之は話し続ける。
「沖だから足が届くわけがない。船に捕まるのも出来なくて、本当に溺れ死になりそうだった。でもよ――」
「それでどうしたんだよ」
「親父がよ、助けてくれたんだ。泳げない親父が海に飛び込んで、俺を船の上に引き上げてくれたんだ。やろうと思えば何でもでkりんだな。
人って」
ひ弱だった智之の父さんのイメージが何となく、たくましいイメージに変わった。海に飛び込むなんて、僕の場合は考えられない。
泳げないのに飛び込む勇気は僕にはない。
この後、僕と智之はしばし食べる事に集中した。少し、智之の話した事が忘れそうになったが、思い出そうとすればハッキリと思い出す事が
できた。
「会いたいなぁ……」
食べ終った時、智之がそう呟いた。いつも陽気な智之がこんな弱音みたいな事を呟いたのは初めてだ。
そして、僕もパパとママの事を頭の中に思い浮かべた。優しかったパパ、厳しかったけど大好きだったママ。ハッキリと、思い出せる。
その時、僕の目から涙がこぼれた。どうしてか分からない。けど、パパとママの事を思い出したら急に。
「会えるよ、きっと――」
そう言っていた。
そうだよ、この戦争さえ終われば、会える。絶対に――
其の参
爆音。悲鳴。飛び散る血。最悪の朝の目覚めだった。
本部の中にはサイレンが響き、放送で「敵軍の攻撃」と何度も繰り返される。辺りからは銃声が聞こえてくる。状況がいまいち
呑み込めない。智之がマシンガンを持ちながら僕に向かって叫んでいる。
「急いで準備をしろ!」
その言葉通りに、とりあえずベッドの横に置いてあったマシンガンや手榴弾などの兵器を身に付ける。いつも攻撃をする時に装備する物だ。
それを確認すると、智之が部屋の外へと出て行く。僕もそれを追い駆け、廊下へと出る。マシンガンの銃声、爆音。色々な音がうるさい。
何だ、何が起きたんだ。
敵軍の攻撃。サイレンと共に聞こえてくる「敵軍の攻撃」という放送によると、G国の軍隊が本部に攻撃をしてきたらしい。
こんな朝っぱらから、何という奇襲だ。だが、僕みたいに状況をあまり呑み込めない兵士が他にもいると、それはかなりやばい。
壊滅……? 最悪の状況が頭に過ぎった。体に鳥肌がたってくる。死んだら、日本に帰れない。足が少し震えた。
――今が死ぬ時だろ。お前が殺した人達は喜ぶぜ。あの世で。
この状況の時、もう一人の僕がそう言い放った。心が揺れる。
僕が殺してきたあの人達にとっては、僕が死んだら万々歳だ。僕が死ねばあの人達はキチンと成仏できるだろう。
その時、キャタピラの音が外から聞こえてきた。窓の外から聞こえてくる。智之の行動が止まる。急いで窓の外を確認する。
……G国の戦車だ。10台、いや15台はある。やばい。
その時、右腕に激痛が走った。そして、前にいる智之が倒れた。廊下の壁に飛び散る血血血血血血。智之の悲鳴が響く。
G国の兵士。手にはマシンガンを構えている。その兵士の後ろからも何やら足音が聞こえてくる。頭が逃げろと告げた。だが、体が動かない。
怖さではない。勇気ではない。――智之を、置いて行きたくない。その気持ち。
「あああああ!」
叫びながらマシンガンの引き金を引く。右手の痛みの感覚が麻痺をしていた。勝手に、体が動いた。頬に血が飛び散る。壁が真っ赤に染まる。
体中に激痛が走った。血が飛び散った。でも、引き金を引き続けた。まるで、人を殺す為に生まれてきた死神のように。悪魔のように。
前の兵士が倒れていく。でも、撃ち続けた。何もかもが、真っ赤に染まった。壁も、床も、人も、銃も。赤い血の色で染まっていった。
弾が、無くなった。
でも、前からも弾が飛んで来なかった。全部、死んでいた。体中が痛かった。血がこぼれていた。でも、心臓とかには銃弾は来てない。
生きている。僕は、生きている。
――死ねばよかったのに。
もう一人の僕のその言葉もあまり気にならなかった。ただただ、痛かった。そして、何故か悲しかった。
「智之!」
我に帰ったように智之に近づいた。生きてくれ。生きてくれ。死なないでくれ。この世から、去らないでくれ。生きてくれ。
頭の中が狂ったようにその言葉を繰り返した。生きてくれ。生きてくれ。
智之は血だらけだった。僕よりも色々な所に弾が撃ち込まれていた。嫌だ。嫌だ。嫌だ。
「智之! 目を覚ませよ! 智之!」
その時、智之の目が開いた。
僕の方を、じっと見つめる。やった。生きてくれ。生きてくれ。智之、智之――
智之の口が、静かに開いた。智之の目が、悲しそうになった。
「の……太……会おう……絶対……」
智之の、目が閉じた。真夜中に、花びらが散っていくように。叫びもせず、苦しそうにも見えない。静かに、楽しそうに。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。
嫌だ。
「僕は、生きたまま会いたいよ」
目から涙がこぼれていった。悲しい。悲しい。他の言葉など思い浮かばなかった。ただ、悲しい。悲しい。悲しい。
時が止まったようにも感じた。僕だけが動いているかのように思えた。僕だけが、泣くという行動をしていたのかと思った。
「智之ぃぃ!」
泣き叫んだ。天国にも、届くように。智之のお父さんにも届くように。でも悲しい。悲しい。悲しい。
その時、外から戦車が動く音が聞こえた――
其の四
戦車は陸上最強の兵器だ。核爆弾などには劣るが、歩兵相手なら歩兵は絶対に勝利する事は出来ない。戦車の前に歩兵が現れても、
戦車はその歩兵を轢き殺すだけ。いくら銃を放っても、戦車の鋼鉄製のボディーに弾き飛ばされるだけ。無力な歩兵は絶対に戦車に勝つことなど
不可能だ。
もちろんの事ながら、砲撃もできる。スコープもあり、確実に物を狙う事が出来るのだ。コンクリートだって砲撃すれば簡単に破壊できる。
想像できるだろうか。あの硬いコンクリートが一瞬にして砕け散る姿を。銃でも歯向かえないコンクリートを破壊する姿を。
そう、例えるならば戦車は陸上の帝王。陸上の物なら何でも破壊する事ができるモンスターなのである。
――「兵器辞典」戦車のページから引用。
戦車が、来る。
僕は戦車に攻撃された事は無い。戦車に出くわさないような戦い方をし、攻撃する時もそうやって攻撃をし続けたからだ。
だが、戦車で物が破壊される瞬間を見た事はある。日本軍が攻める時、街の高いビルを砲撃によっていとも簡単に破壊する姿を。
まるで、発泡スチロールか何かのように砕いたのだ。
心臓が高鳴ってくる。戦車のキャタピラの音が聞こえてくるのだ。さっき、窓から見た時は本部から五百メートルぐらいしか離れていなかった。
本部の中にまだ侵入してきていないという事は様子を見ていたという事だろう。そしてそれが今、動き出した。
体が震えてきた。マシンガンの弾はもう、無い。それに今、僕は血だらけだ。気を抜いたら倒れてしまいそうだ。いや、出血多量で
死ぬ可能性もある。戦車が来たら、僕は間違いなく、死ぬ。
智之の死体が見えた。マシンガンで体中に風穴を空けられ、そして死んでしまった。この友のようにはなりたくない。嫌だ。嫌だ。
震えた。心の底から、震えた。死という事がどういう事かは分かっていた。死ぬのが怖いという事も分かっていた。戦争で死ぬ人達を見て、
死にたくないと心の底から思ったつもりだった。でも、これだけ死が怖く感じたのは初めてだった。怖い。怖い。死にたく、無い。何回も頭の中
でその言葉が繰り返される。
砲撃音が響いた。前の廊下の曲がり角に、建物の破片が落下する。やって来た。戦車が。体の震えが激しくなる。
戦車。痛い。爆発。轢かれる。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。
戦車が、本部の中に入ってきた。緑色の光沢。子供の頃はかっこいいと思っていたその姿は、悪魔の姿に見えた。僕を殺す、悪魔に。
――お前も悪魔だろ?
もう一人の僕が囁く。そうだ、僕も人を殺している、悪魔だ。
戦車が方向転換をする。まるで、獲物を狙う獣の様に。体が震える。この廊下は戦車が通るには十分な広さがある。僕を轢きに来るのでは
ないか。心臓が高鳴る。
ゆっくりと戦車の砲台が動く。人を、探しているのであろうか。死ぬのは嫌だ。嫌だ。嫌だ。
前に見た戦車がビルを破壊するシーンが脳を過ぎる。コンクリートで出来ているビルでさえも粉々にする。それなら、僕は……
緑色の砲口が僕に向かう。周りの風景。死体。血。銃弾。マシンガン。苦しみ。嫌だ。智之。死亡。血。血。血。地獄。
「うわああああ!」
叫んだ。狂った様に。いや、狂ったのかもしれない――
自分が何をやっているのかも分からなくなっていた。叫びながら、無我夢中で走った。途中で戦車の砲撃があったのかも分からない。
ただ、ずっと走っていた。
死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。
頭の中で何度も、何度もその声が聞こえてくる。もう一人の僕もこの時ばかりは現れなかった。そして、目に見えるのは赤色のみ。血の赤色。
死にたくない。死にたくない。死にたくない。
足の感覚も無くなってきた。走っているという実感もない。ただ、死にたくないと願っているだけ。
そして、周りが真っ暗になった――
其の五
赤い。何もかもが、見えるもの、全てが赤い。
何なんだ、この世界。夢なら早く目覚めろ。あまり居心地は良くない。周りの風景はそう言っても変わらない。ただ、赤い。
どうして自分がこんな所にいるのかを考える。さっきまで、僕は何をやっていたのか。思い出せ、思い出すんだ。体にそうやって命令する。
段々、鮮明になっていく記憶。
智之―― そう思い出した途端、周りの赤の世界に風がふいた様な気がした。そうだ、智之が、智之が。死んだんだ。G国の兵士に、
マシンガンで撃たれて。
僕のせいで。僕が、もっと注意をはらっていたら智之は死ななかったんだ。僕が。僕が。僕のせいで。僕は……悪魔なんだ。
――そう、お前は悪魔だ。何人の人を殺した?
声が聞こえてきた。周りを見回すと、僕が立っていた。直感で分かった。こいつはもう一人の僕だ。僕にいつも囁きかけていたあの僕。
もう一人の人格。
何故か、もう一人の僕は笑っていた。どうしてだろう。そして、もう一人の僕は手を挙げた。そして、何かを呟く。何をやる気なんだろう。
僕の事なのに、何も分からない。
僕の腕を何かが掴んだ感じがした。腕を見る。
「うわあああああ!」
僕の腕を掴んだのは兵士だった。見覚えがある顔。G国の兵士。僕が殺したあの兵士。何で、何で、ここにいるんだ。何で、僕を掴むんだ。
ごめん。ごめん。ごめん。
今度は足を掴まれた。他の兵士だ。これも、僕が殺した兵士。もう片方の足にも何かがへばりついた感じがした。女の人。
僕が爆弾で殺した女の人。赤い世界から次々と僕が殺した人がやって来る。もう一人の僕はその光景を見て笑っている。
ごめん。ごめん。すいません。ごめんなさい。ごめんなさい。
何回も、何回も謝る。でも、彼らは無言で僕にへばり付いてくる。嫌だ。嫌だ。嫌だ。何で。何で。何で。
――どうだい? 殺した人と一緒にいるのは。
もう一人の僕。気持ちが悪い。助けて。誰か。助けてくれ。目から、涙がこぼれた。
「助けて! ドラえもん」
思わず、そう叫んでいた。
白色。目に飛び込んできたのはその色だった。さっきの赤の世界じゃない。それだけでかなり安心した。あそこから、逃げれた。
「お、目覚めたか」
誰かの顔が見えた。白衣を着て眼鏡をかけている。恐らく、本部にいる軍医だろう。何処かで見覚えがある。この人も戦争に連れてこられた
人の一人だろう。
気持ちが随分と落ち着いた。恐怖からやっと逃げ出す事ができたのだ。さっきまで高ぶっていた気持ちが嘘の様だ。
その時、体中に激痛が走った。周りを見渡す為に体を動かそうとした瞬間だった。体中が槍で刺されたかの様な痛み。目から涙がこぼれる。
痛さで涙をこぼしたのは久しぶりだ。
「動いちゃ駄目だ。まだ手術をしたばかりだからな」
軍医が言う。動いちゃ駄目だと言われなくてもこの痛さで僕は動くなどという事は絶対にしないだろう。
手術というのは多分、撃たれた弾丸を摘出する手術だ。それ以外に手術するような所は考えられない。自分の今の姿を想像しようとしたが、
あまり想像できない。動けないので自分の体を見れないからであろう。
「あの……此処は何処なんでしょうか」
軍医に質問をする。口は動かす事ができるらしい。という事は、喋る器官にほとんど弾丸の影響が無かったであろう事を差す。
「此処? 本部のシェルターだ」
本部のシェルター。確か、この本部に来た時に非常の時は逃げろと説明されていた。このシェルターは地震や核爆弾の為に造ったので
あろうが、まさか敵軍の奇襲で使うとは誰も思わなかったに違いない。
それにしても、一体誰が僕をここまで運んだんだろう。覚えているのは、戦車から逃げて走っていただけ。無我夢中で、ずっと走っていた。
そして気がついたらここにいた。
「部隊名は何かね?」
「え?」
軍医がいきなり聞いてきた。手にはカルテらしき物を持っている。部隊名、という事は治療した兵士の部隊名を聞いているらしい。
人数がどれだけ死んだかを確認する為であろう。
「006です」
「006……歩兵隊か」
軍の部隊は数字で分けられている。001〜010までの部隊は歩兵部隊。011〜030が戦車部隊。031〜087までが空中隊。
その他に、化学兵器部隊などもあるらしい。そして、僕は006。歩兵部隊だ。――智之も、同じ部隊だった。
軍医はそれを聞くと、カルテにその事を書く。書き終わると、軍医は歩いて行った。多分、何処かの棚とかに置くのであろう。
その時、眠気に襲われた。さっきまでずっと意識を失っていたのに、どうして眠ろうとしているのかが分からない。瞼が重くなり、眠りの世界
へと入っていく。
そして、あの赤色の世界が見えた。もう、この世界には行きたくないのに。どうして、この世界へ来るんだろう。
また、もう一人の僕がいた。ニヤニヤと笑っている。何故かむかついた。いや、当然なのかもしれない。もう一人の僕を睨みつける。
その時、勝手に口が動き出した。前から聞きたかった事を喋りだすのだ。体が許せなかったのであろう。
「人を殺すのが悪魔なら、僕はどうやって戦争の中で生きればいいんだ」
――言っているだろう。死ねばいいんだよ。
もう一人の僕が、そう言った。
其の六
死ねばいい―― いつももう一人の僕が僕に対して囁いていた言葉だ。死ねば人を殺さなくて済む。死ねば苦しまなくて済む。
悩んでいる時、いつももう一人の僕はそう言っていた。
それを僕はいつも断った。死ぬのは嫌だ。死にたくない。死んだら全てが終わってしまうと思って断り続けたのだ。人を何人も殺した時も、
断っていた。
この赤い世界で起きたあの事を思い出す。僕が殺した人達がこの世界から現れて、僕に纏わり付いてくる。恨みか、憎しみか、何の為に
僕に付いてきたのかも分からない。だけど、僕がその人達を殺したのがその原因であろう事は間違いない。そう、僕が殺したから。
いつも、それで悩んでいた気がする。「僕は悪魔だ」とも繰り返しながら、でもずっと生きていく選択をしていた。死ぬのは嫌だから。僕は人を
たくさん、殺したのに。色々な人の人生を断っていたのに。
――さて? どうする?
もう一人の僕が少し笑いながら、そう言った。僕が死ぬ方を考えている事なんて、同じ自分なんだから分かりきっているはずなのに。
そいやって答える。
「僕は、死ぬよ」
このまま生きていても苦しむだけだ。ここで死ねば、苦しまなくて済む。もう、何も考えなくて済む。死後の世界がどんな所なのか
分からないが、この戦争の中よりはよっぽどマシな所だろう。そう考えての決断だった。
もう一人の僕がガッツポーズをする。どういう意味であろう。僕が死んだらもう一人の僕の人格も無くなる筈なのに。もう一人の僕は相当、
死にたかったという事なのか。それとも、別の事なのか。
――それなら、さっさと死のう。死に方を説明する。
もう一人の僕が喋りだす。僕はただ、黙ってもう一人の僕の言葉を一つ一つ、聞き取る。どうやったら死ねるのか。それを聞く為だ。
――まず、この赤い世界から一度出ろ。簡単に言えば、一度起きればいい。
その言葉通り、起きようとする。起きろ。起きろ。これは眠りの世界なんだ。早く起きろ。起きるんだ、僕。何度も、それを繰り返す。
白色の世界。そうだ、目覚めたんだ。動こうとするとまた体に激痛が走る。間違いない、ここは現実世界だ。天井の白色が見えたという事は
電気がまだ付いているという事だ。まだ、電気を付けている時間という事なのか。
さっきと違って、軍医は僕の様子を見には来ない。外で何が起こっているのかは誰かを通してもらわないと分からないので少し困る。
だが、もう周りの状況は知らなくていいだろう。今から、僕は死ぬのだから――
――よし、目覚めたな。目をつぶれ。だが、寝るなよ。
もう一人の僕の声。言われた通り、僕は目をつぶる。眠らないように気をつけながら、真っ暗な世界へと飛び込んだ。
――よし、それでいい。後は俺に任せろ。どんな事があっても目を開けるなよ。
後はもう一人の僕に任せろ……? どういう事なのであろうか。もう一人の僕が何かをやり、それによって僕は死ぬ事が出来るという事
なのであろうか。
その時、頭に激痛が走った。一瞬、目を開けそうになったが死ぬ為には仕方が無いと思い我慢する。頭というよりも、どちらかというと脳に
何かがやられたような感覚だ。
目を開けるな。目を開けたら死ねない。頭の中でもう一度繰り返す。
手が痺れてきた。動かそうと思えば動かせるのだが、何もしていないと手が無くなったようにも感じる。ゆっくり、ゆっくり、死へと
近づいていっているのが分かった。でも、怖さは感じなかった。
体中の感覚がどんどん無くなっていく。ああ、僕はもうすぐ死ぬんだ。僕は、もうすぐ苦しまなくて済むんだ。
その時だった。声が、聞こえてきた。もう一人の僕の声じゃない。聞きなれている声。この声は、智之だ。
死ぬなら違う死に方しろよな―― そう、本当に聞こえて来たのだ。頭の中に響いていった。智之の姿も見えた気がした。いつも、僕と一緒に
いてくれた。兵士の時の、親友。
目の中に涙が溜まった。久しぶりに、智之の声を聞いたような気がした。凄く最近の出来事なのに。智之が死んだのは、凄い最近の
出来事なのに。
のび太君、死んじゃ駄目だよ―― もう一つ、声が聞こえてきた。この声は、この声は。間違いない。
ドラえもんの声だ。
頭の中に色々な事が駆け抜けていった。もう一人の僕。ドラえもん。冒険。智之。戦車。死。苦しむ。嫌だ。笑顔。親友。色々な言葉。
そして、僕は悟る。
「死んで……たまるかよ」
感動でした。のび太と智之の友情が。 | マサリンさん | 30点 |
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